Jun 06, 2010

会員制リゾートは、価格以上の

昨年、会員制リゾートに行って来ました。まず、すべての一般的なビーチリゾートとは異なります。私が加入した会員制リゾートは、その中でもかなり安い物ですが、それでも今まで行ったサーキットのコンセントとは全く違いますね。価格的に放棄する方も結構多いかと思いますが、価格以上のサービスを受けることができるので、逆に有益なくらいだと私は思っています。
海外旅行に行く時に必ず入りたいと思うのが海外旅行保険です。海外旅行保険に入ると、旅行に行くときは、旅行保険手帳を持参しましょう​​。手帳には、緊急連絡先などのドキュメントが含まれています、もちろん、海外旅行保険の情報も含まれています。ただ、海外旅行保険に加入したと言うことで安心して何も情報を持たずに行くより断然安心です。
 30日、国会で第95代首相に指名された民主党の野田佳彦新首相に、都内では、最優先課題として景気回復を願う声が相次いだ。ただ、現在の経済状況下で、野田新首相が強調する増税路線には、反対意見が多く挙がった。

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 野田新首相について、全国中小企業団体中央会(中央区)の鶴田欣也会長は「東日本大震災や急激な円高などで、中小企業は先行きに大きな不安を抱えている。一日も早くデフレから脱却できるよう景気対策に万全を期してほしい」、「国立旭通り商店会」(国立市)の中栄修理事長も「行きすぎた規制緩和で、中小・零細の小売店が次々つぶれた。早く景気を回復させ、中小・零細企業を応援してくれる社会への転換をお願いしたい」と求めた。

 景気回復への期待は、経済団体以外からも出ている。都公立高等学校PTA連合会の南村和良会長は「長引く不況で収入が減り、家計が苦しい家庭が多い。景気の底上げと高校授業料の無償化継続を願う。また、都内だけでなく被災地の高校生も含め、都内でもっと就職しやすくなるよう目配りしてほしい」、大田区保護司会の田村英二会長は「不景気で再犯者が減らない。刑務所を出た人の就労先になっていた建築関係の仕事が減り、仕事がないから、また罪を犯す。こんな現状では安心安全に暮らせない」と要望した。

 ただ、野田新首相が強調する財政規律と復興の財源としての消費税上げには反対意見が相次いだ。

 東京商工会議所豊島支部の鈴木正美会長は「スピード感を持って震災後の復興に努めてほしい。だが、今は増税をすべきではない。最優先は景気を良くすること。税収は自然に上がり、増税を考えなくても済む」、千代田区商工業連合会の中俣拓哉理事も「経営者は赤字だと管理費を節減し、利益を上げるため投資拡大、広告宣伝、増資などを考える。国も納税者が納得するよう説明してほしい。震災復興などのため、これだけ必要だと説明し、財政再建の道筋が見えれば、国民は協力すると思う」と述べた。

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 お菓子と粘土が組み合わさった食べられる粘土として話題を集めている。2007年にドイツで発売され、昨年10月からは日本でも発売。日本総代理店である宝商事(東京都千代田区)によると、クリスマス商戦の12月には一時、品薄になるほどの人気となった。

 ドイツに住む2人の少女が粘土遊びの途中で粘土を食べたところ、叱った父母に「なぜ粘土は食べられないの?」と聞いたことが開発のきっかけ。そんな素朴な疑問をもとに考案された。

 小麦粉や砂糖など全て食品素材で作られ、そのままでも食べられる。生地粉に水を加え、付属のへらでよく混ぜ、手でこねると、粘土として使用できる。遊んだ後、オーブントースターで焼けば、オリジナルクッキーを作ることも可能だ。

 赤、青、黄、緑の4色の生地が入っている。例えば、赤色と青色の生地を組み合わせれば紫色の粘土になり、色の変化を楽しめる。ただし、食べられるのは粘土にした当日限りなので、取り扱いには注意したい。

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 【メモ】希望小売価格は1785円。全国の雑貨店や玩具店などで販売している。

 テレビやラジオで分かりやすく天気の情報を伝える“お天気キャスター”として活躍する森田正光さん(61)。仕事に対するこだわりや頑固さ、分からないことはとことんまで調べるといった“職人かたぎ”の面は、板金工だった父、巡造さんゆずりと思っている。

 板金工の仕事は、巡造さんの父(正光さんの祖父)がもともと自営で行っていた。巡造さんはその仕事を受け継いだが、自営ではなく製作所に勤務していた。

 「当時は土曜日は半ドンで日曜日が休み。でも、父は近所の人に頼まれて、休みの日も雨どいを直すなど板金工の仕事をしていた。腕の良い職人として評判だったようで、いろいろな注文を受けていた。いつも何か作っていた印象がある。自宅の土間にコンクリートを入れて、家を改造したこともあった」

 自転車で会社に通っていた巡造さんは、仕事帰りに甘納豆やスイカなど子供のおやつになるものをよく買ってきた。家族で日帰り旅行をしたり、動物園などにも行ったりした。中でも印象に残っているのが、名古屋市科学館にプラネタリウムができたとき、連れて行ってくれたことだ。

 「子供にいろいろなものを見せたかったのでしょう。弟も一緒だったけど、喜んでたのは僕だけだったかも。今思えば、このプラネタリウムがきっかけで、科学的なことに興味を持ったような気がする」

 楽しかった日々とともに思い出すのは、男3人、女1人の4人きょうだいの次男だった正光さんが、兄弟の中でもよく叱られていたことだ。

 「父は明治生まれの男だから、しつけにはすごく厳しかった。食卓にひじでもつこうものなら、すぐにたたかれた。特に僕は理屈っぽいというか、叱られると口答えをするから、さらに厳しく怒られることが多かったな」

 正光さんが中学2年のとき、巡造さんは脳卒中で亡くなった。大学進学を望んでいたが経済的事情もあり、正光さんは高校卒業後、日本気象協会東海本部に就職。気象解説をする部署に配属され、ここで一から気象予報のノウハウを学ぶ。24歳のとき、東京に研修を兼ねて転勤したことがきっかけで、ラジオやテレビに出演することになる。

 当時、テレビの天気予報は淡々と気象情報を伝えるだけだった。正光さんの気さくな人柄と斬新な切り口での気象解説は、視聴者から分かりやすいと評判となった。41歳で同協会を退職した後は、自身がお天気キャスターとして気象解説を行うだけでなく、気象予報士の育成などにも力を注いでいる。

 「気象予報の仕事は自分が望んでなったものではないけれど、やっているうちにどんどんおもしろくなってきた。長年経験を積み重ね、自分なりの工夫をすることが良い仕事と認められるのは職人と同じ。今も父を職人の先輩として尊敬しています」(平沢裕子)

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 ≪メッセージ≫

 叱られるたびに、なぜ自分だけ?と思ったけれど、その理由が分かる年齢になったよ。

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【プロフィル】森田巡造

 もりた・じゅんぞう 明治42年、名古屋市生まれ。板金工として製作所に勤務。昭和39年、56歳のとき、東京五輪開会式のテレビ観戦中に脳卒中で倒れ、3日後に亡くなる。

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【プロフィル】森田正光

 もりた・まさみつ 昭和25年、名古屋市生まれ。気象情報会社「ウェザーマップ」代表。高校卒業後、日本気象協会東海本部に入社。東京本部勤務を経て、平成4年に同協会を退職、日本初のフリーのお天気キャスターとなる。著書に『大手町は、なぜ金曜に雨が降るのか』(梧桐書院)、『理不尽な気象』(講談社)など。

愛知のはんこを使ってみた
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